| 佐藤栞里というタレントがいたとする。Satow Shior-riとする。rrは促音「っ」に ならない為。「しおり」と読める。 |
NANAY CHICAYno "J'ALEFABECHTO PROTOCOL" 試論 田丸卓郎先生と田中舘愛橘先生に捧げる現代ローマ字国字論
Thursday, December 29, 2016
Tuesday, December 27, 2016
Monday, December 26, 2016
Sunday, December 25, 2016
Thursday, December 22, 2016
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Wednesday, December 21, 2016
Monday, December 19, 2016
Saturday, December 17, 2016
Thursday, December 15, 2016
| 何れにしても漢字文化は重過ぎるのである。漢字習得には終わりが無い。日本語の場合、漢字+仮名文字(表音文字)で一見易しく見えるのであるが、実際には漢字の量を制限して負担を減らしているのである。個人のレベルでそれをやってしまうと、「学がない」事になってしまい、社会的な評価が下がる元になってしまうのである。それを支えていたのは漢文文化であった。漢文素養は永い時間をかけてその様な書籍を揃えて学ばなければならなかったのである。この終わるところを知らない教養文化は国民に負担が大き過ぎたのである。今我々がこの様に文章を書いていられるのは戦後の漢字制限を国家が行なった結果である。裏に隠れた漢字文化を知らないだけかも知れない。 |
Wednesday, December 14, 2016
Sunday, December 11, 2016
Thursday, December 8, 2016
Monday, December 5, 2016
| 私が続けているローマ字研究は明治期に多くの先達を輩するも、結局ポシャりました。造語の達人、西周(にしあまね)もローマ字国字論者だったんです。郵便制度の前島密も徳川慶喜に建白書を出した位の漢字廃止論者でした。ローマ字研究を続けていると何故明治にローマ字国字論がポシャったのか理由が見えて来るんです。現在も普段使ってる漢字仮名混じり文は日本語の複雑な成立事情を隠蔽してくれてる「臭いものに蓋」的な方法だったんです。別に臭かぁ無いよ!はい!じゃあ、「面倒なものに蓋」ですかね!明治のローマ字国字論は直ぐ二派に分裂します。ヘボン派と日本式です。ヘボン派は聴こえた通りに書くと云うもの。日本式はいずれ訓令式も生みますが日本語の中の語形変化活用を意識して五十音表の整合性を尊重した書き方です。日本式はヘボン式の変則性を嫌い長い間反目しあって来た訳です。両派とも本末転倒な議論の繰り返しでちっとも実りのある議論を残しませんでした。そこで、私がたった一人で掘り返していると言う訳です。必要な事は主な単語のスペルを決定する事です。そして、書き手が滑らかな記述が実現する事です。又、日本語の中の変則的な部分、例えば音便の表記を決定しておく事です。他に色々あります。例えば、記号を適切に有効に使って読み方をバックアップする事です。 |
Saturday, December 3, 2016
Friday, December 2, 2016
Sunday, November 27, 2016
Saturday, November 19, 2016
| ローマ字を何とか方式(従来型の方式)に固定すると不都合な事が後から起こることを初期の論者は言及していない部分があったのである。それは日本語が他の言語と接触することによって可能になる発音が増えることなのだ。要するに外国語との接触が無い事を前提に考えていた節があったと考えざるを得ないのであるにヘボン式は辛うじて、対応出来るのであるが、日本式訓令式は出来ない部分が出てきてしまう事なのだ。何とか式は棄てる時が来ると考えなければならなくなるのだろう。一種の折衷案的な方法を出さなければ、解決が出来ないのであろう。外来語の中に日本語に溶け込んで発音している単語をピックアップせざるを得ないであろう。これらをスペルに決定項目に登録して整理しなければならないだろう。 言語とは社会活動そのものである。と言うことは動いている存在なのである。変化を受け止める器でなくてはならないのである。言語が変化したらその通りにトレースしなければならないと言うことである。 |
Tuesday, November 8, 2016
Monday, October 31, 2016
Wednesday, October 26, 2016
Monday, October 24, 2016
Sunday, October 23, 2016
Saturday, October 22, 2016
Wednesday, September 28, 2016
Friday, August 12, 2016
Friday, July 15, 2016
Saturday, July 9, 2016
| 日本語は時々単語の接続が曖昧なところが出てくる。どういうことかと言えば次に接続するのか、終了するのか形の上から判別できない時があるのである。その代表例として①連体形と終止形が現代語で同じ形になったという事である。②又、中止形の「て」が接続の機能を失って直接感情表現に移行して終了する場合などである。このような時は、終了はperiod接続する場合にはcommaを使用するなどで対応出来るだろう。又この事は活用語に限った事ではないので、表現者は心掛けて接続するしないについて記号の使用などで配慮すべきであろう。 又、更に動詞の連体形と名詞用法は同形である。この場合は接続の問題はないので特に方法はない。/font> |
Saturday, July 2, 2016
Friday, July 1, 2016
Wednesday, June 29, 2016
Tuesday, June 28, 2016
| 漢字に退場をして頂く |
| ローマ字の提案は飽くまでも日本語に対してであるのは当然である。日本語そのものを変えようというのではない。現状使用されている日本語の表記について一つの異議、疑問を呈し、新しい提案を提出しているのである。日本語に対する漢字の貢献度は十分認めながらも、現状の漢字使用に大いに異議を唱えるものである。漢字は中国語を表すだけで結構なのである。中国自身がその重さに喘いでいるのである。中国自身が試行錯誤しているではないか!東南アジアを中心に表音文字化して発展の機会を窺っているではないか!日本だけが重い漢字の呪縛に縛られているということになる。現在世界は教育の重要である事を認識し、過度な負担を排する方向に向っていると言うのに、日本は教育と詰め込みであるとの固定概念から抜け出れていないのである。ゆとり教育は誹謗によって脆くも崩壊してしまった。日本がすべき事は詰め込みではなかったのだ。解析、分析能力の方であるのにも関わらず全く方向違いの事をやって来たのである。この様な段階だから、日本が改善すべきは何処かが解らないのである。国民が何を重いと感じているか、又将来の国民の姿を見ようとする、思いを致す力がないという事なのである。これに答えを与えるのがここで提起するJ'ALFABECTOなのである。 |
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