Tuesday, May 30, 2017

同音異義語を放置しておけばローマ字は役に立たなくなるので、言い換えを指導するよりも、区別できる様に工夫する事が先ずすべき事ではなかったのか?一部学校教育にも取り入れられた現場ではどうしていたのか?表現が複雑になる前にローマ字教育は終了していた。これではノーハウは集積は出来なかっただろう。

Sunday, May 28, 2017

子音音節

従来の漢字仮名交じり!表記では当然ながら子音だけを表現出来なかった。しかし、外国語由来の単語の表現がいつまでも不十分のママである訳にもいかないだろう。従って子音が表現出来るようにしておかなければならないのは当然ではないだろうか?と言う訳で、(五十)音表の中に例えばサ行「ss」の様に母音の位置に子音の繰り返しを行う事が考えられるだろう。

文法的に対応する。

現在進行形の文法変化がある。通称「ら」抜き言葉と言うものだ。文法変化はどの時代にも起こる事で、 ローマ字がそれに対応出来ない理屈はない。寧ろ、時代を捉える道具になるだろう。 雇えば上記ら抜き言葉は反面ら抜かず言葉も生んでいる事になるのだから、ここで助動詞の使い分けが促進され文法的にスッキリした言語になる萌芽が見える事になるのである。

Saturday, May 27, 2017

表記で国の未来を考える。

明治維新前後に表記について幾つか動きがあったが、「ローマ字」は全く理解が得られず敗退したが、「かなもじ」はある程度理解があったのかも知れない。しかし、表音化には至らなかった。日本は既に表記には特に困った状況ではなかったのである。只、先の見通しが出来なかっただけなのかも知れない。又国の指導者にはプライドがあったのかも知れない。いずれにしても表記の事で国の未来を描けなかったと言う事に尽きるのではないか。

Friday, May 26, 2017

言語淘汰促進

言葉は淘汰されるものである。しかし、業界によっては必須のものがあり、違和感の続くものも出てくる。しかし、ローマ字使用によって淘汰が促進する可能性がある。これまでの漢字仮名交じり文は漢字語がフレームアップされる場合が多かったかもしれないので、ローマ字の均質性によって篩いに掛けられる機会が多くなると考えられるからである。

長音と二重母音

日本語には長音か二重母音か区別はない。従ってどちらに読むかの規則を設ける事自体がオカシイと言う事になる。今は区別がないが、遠い将来区別を必要とする時が来るかも知れない。その為の準備をしておいても良いかも知れない。

Wednesday, May 24, 2017

国語の表記は人為的に操作出来るので、是迄、実験的に弄られる対象にされて来た。例は大変適切では無いかも知れないが、北朝鮮はハングルのみに変えて漢字を全て止めた。メディアには漢字はほぼ変な意味で非常に人為的ではあるが、ハングルの成果が今結果を出しいる様だ。あの鎖国同様の国家が情報の集積力を全く落とさずに科学立国の道を歩んでいるのである。選択を間違えたのは政治の方だった様である。

Tuesday, May 23, 2017

ローマ字に大いに期待出来る点は情報、知識、文化、思想などの集積力向上ではないだろうか?要するに日本人からの外国文化への理解度が高まると言いたいのである。元来日本語の書記法は閉鎖的であった。閉鎖的の意味は日本人が生活して行く上で何ら過不足なく満たされていると言う事である。何故なら日本が明治維新以降翻訳文化を作り上げたためである。主に戦後は、翻訳からハミ出た部分は直輸入したのである。受け皿がカタカナと言う擬似的方法を隠し持っていたのである。カタカナとひらがなの棲み分けがあったから可能な事であった。

Monday, May 22, 2017

英語の場合は不規則なスペルが多いので逐一憶える必要があるが、日本語の場合は比較的規則性を信頼出来る言語なので、庶民レベルでの負担はことばが既知であれば品詞知識の学習を補習すれば完璧に筆記出来るだろう。

Thursday, May 18, 2017

日本語には異音同義語が多い為検索がしにくい言語である。例えば、「生きる」「生存」「生活」「一生」などはほぼ同一の意味でありながら使われ方のTPOが違う為まるで意味を共通に保てないのである。ローマ字世界になったらこれが解消することも期待するところである。
①「本を)読む」と「歌を)詠む」(=yommu)の差を当座表現する事はどれだけの意味があるというよりも、現実にその方法がないとせざるを得ないのが正直なところである。この様な例として、別に②「話す」と「離す」(hanassu)の例がある。これは変に弄らずに そのままにして置いた方が いいのである。何故なら日本語がどの様に歴史的に発展して来たかを知る記録でもあるからであるからである。真の意味は読み取ってからの作業にすれば良いのである。

Sunday, May 14, 2017

何故私は誰も最早見向きもしなくなったローマ字を注目するに至ったか、先ずローマ字の事を考えるには非常に面倒な作業が必要なのだ。考えるべき分野は多岐に亘るし、片方の分野が片付いたと思えば他の部分が整合性が取れていないと言う事は日常茶飯事の様に出てくるのである。整合性を維持する為にはそれまで蓄えて来たアイディアを一旦突き崩さなければならない時もあるのである。その為にはアイディア倉庫は頭の中にスッカリ入っていなければならないのだ。アイディア倉庫は在庫確認の為、棚卸しの為に実際に書いて見なければならない。

Wednesday, May 10, 2017

ローマ字を誰がどの様に次世代に伝えて行けるか?一般的な教育現場の理解がどうしても必要である。現在の漢字仮名交じり文では品詞への配慮は全く必要と せず聞き取れた範囲の内容だけ書いたり出来れば良いのである。これでは日本語を使って表現する力は育たなくのは目に見えているのではないだろうか。ローマ字必要な所で分かち書きしなければ意味が不明になってしまうのである。品詞の分類が目的ではないが、適切な配語が出来て意味の通じる文章が綴れる様になる事が目的である。