| 日本語自身が表記の為に疲労感を呈していると思いませんか?もっと表記方法の貧弱さに依って表現がかぎられ、風通しも悪く、言語全体が萎縮していると感じませんか? |
NANAY CHICAYno "J'ALEFABECHTO PROTOCOL" 試論 田丸卓郎先生と田中舘愛橘先生に捧げる現代ローマ字国字論
Thursday, March 30, 2017
Tuesday, March 28, 2017
| 私のローマ字に関わろうとしているのは思想的な根拠がある。 出発点は高校の頃の受験時代に遡る。一種の受験勉強からの逃避だった事を恥ずかしながら告白する。受験勉強のフリをしてはローマ字のスペルを考えてメモったり、捨てたりしていたのである。日本語をローマ字化するのは並大抵には行かない事も既にこの頃から知っていた。その頃の思いは日本語がローマ字で書けない理由はある筈がないだろう!であった。 |
Monday, March 27, 2017
| ローマ字書きは当然漢字を廃止する事なので、漢字に別れを告げる事で殆んどの人は喜ぶだろうとと思ったら大間違いらしい。我々は漢字でどんなに不自由しているか自覚がないらしいのだ。便利ではないが、そう言う風に習って来たからと言うのが理由の様だ。なんと言う我慢強い国民なんだ!漢字教育と言うのは正確な範囲が決まっておらず、国が決めた漢字制限の枠内で覚える事が範囲であり、漢字だけ読むという、品詞には無関係なのだ。漢字は元々本家中国では拡張型文字体系として発達したので、時代の活性に応じて、増加の規模が違う事が普通だったのである。漢字の字数には何の根拠がないにも拘わらず何の為の制限か不明なのである。必要に応じた使い方をすれば良い筈ではなかったか?膨張する特徴を生かせばどんなに字数増加も苦ではない筈であろう。 |
Saturday, March 25, 2017
Thursday, March 23, 2017
| これまでのローマ字運動は長音の書き方ばかり可なり拘って同時に記号を排除するなど傾きが激しかったが、これは五十音表ばかり睨んで居たせいであった為である。シンプルになるようにする事は良いのであるが、読み易さも落としてはならなかったのであり、日本語に纏わる色々な現象を見渡せなくてはならなかったのである。ローマ字で書くとこう言う時にはどうするかと言うことを議論しなければならなかったのに、日本語をトータルで観ようとしてこなかったのであろうか、拙速な議論が横行したキライがあるのだ。ローマ字運動は明治時代も早くから始まった為新しい時代の先行きが見通せなかった事で時代の進化を予測出来なかった事が大きい。先ず議論に参加するメンバーがローマ字を知らなさすぎた。記号を排除する事、嫌悪感にちかいものがあった。仮名書きが未だ安定してない時期から始めようとして居たので手本は口語となった。口語をローマ字にすれば良いとなったので古典の引用をどうするかの答えが出せてなかった。或いは眼中になかった、目を瞑ったと言う事になったのだろう。 |
Wednesday, March 15, 2017
Tuesday, March 14, 2017
Monday, March 13, 2017
Wednesday, March 8, 2017
Saturday, March 4, 2017
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