Thursday, March 23, 2017

これまでのローマ字運動は長音の書き方ばかり可なり拘って同時に記号を排除するなど傾きが激しかったが、これは五十音表ばかり睨んで居たせいであった為である。シンプルになるようにする事は良いのであるが、読み易さも落としてはならなかったのであり、日本語に纏わる色々な現象を見渡せなくてはならなかったのである。ローマ字で書くとこう言う時にはどうするかと言うことを議論しなければならなかったのに、日本語をトータルで観ようとしてこなかったのであろうか、拙速な議論が横行したキライがあるのだ。ローマ字運動は明治時代も早くから始まった為新しい時代の先行きが見通せなかった事で時代の進化を予測出来なかった事が大きい。先ず議論に参加するメンバーがローマ字を知らなさすぎた。記号を排除する事、嫌悪感にちかいものがあった。仮名書きが未だ安定してない時期から始めようとして居たので手本は口語となった。口語をローマ字にすれば良いとなったので古典の引用をどうするかの答えが出せてなかった。或いは眼中になかった、目を瞑ったと言う事になったのだろう。

No comments:

Post a Comment