| 日本が明治維新を迎えようとした時、日本の知性は待ってましたとばかりに、ヨーロッパ留学が出来た者から日本の非合理批判を始めたくてウズウズしていたのかも知れないが先ずはお上に建白書を差し出すなどお伺いを立てたが急進的提案は悉く拒否された。しかし、ローマ字運動は学究の中から賛同する部分が一部現れたのだったがローマ字綴り方式の主張の違いによって分裂してしまった。日本式グループとヘボン式グループである。この二つの対立の溝は戦後になっても不幸にも埋まらなかった。二つの流派は建設的に発展はする事が無かった。お互いに何が足りないかの議論に至らず方式の主張を声高に言い合うのみであった。日本語には直ぐにはローマ字に跳び移る事が出来ない諸問題があった筈であるのに、両者はこれを取り上げて議論しようとはしなかった。何が困難な問題かをピックアップするだけでも歴史の歯車がもう少しは進んだであろうに不毛な時を過ごしてしまった。この二者が携えていたものは何と各々の五十音図だけであったのだから、何処に問題が解ろう筈も実は日本語は実際には様々な問題を抱えていたのだ。 |
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